2010年5月26日水曜日
ぼくらはロックンロールと一緒に大きくなった
小学生の頃、アメリカでロカビリーが生まれた。中学、高校、大学、そして社会に出てからも、いつもロックが身近にあった。ロックについて僕が知っていること。書いておきたいこと、知ってほしいことをこのブログで書き続けます。
ロカビリーの誕生を描いた名作、映画「ウォーク・ザ・ライン」
その当時のエルビスをはじめとするロカビリースターたちの熱い青春を、ジョニー・キャッシュの伝記をもとにつくられた映画「ウォーク・ザ・ライン」の中で見ることができる。この映画は、アメリカでは早くから高い評価を受け、さまざまな映画賞にノミネートされ、受賞してきた。アカデミー賞では、リーサ・ウィザスプーンが主演女優賞に輝き、日本で公開されたときも少しは注目を浴びることができた。しかし、なんといってもジョニー・キャッシュの知名度は、日本ではほとんどゼロに近かったのではないか。
ジョニー・キャッシュ
ジョニー・キャッシュは、保守的なカントリー音楽の世界では、きわめて異色の革新的なミュージシャンだ。その声とサウンドを聴いただけで、一瞬に彼だとわかるオリジナリティのあるもので、ロックの本質を備えている。映画では、ジョニーがあこがれのマドンナ、ジューン・カーターと結ばれるまでのはがゆいラブストーリーが描かれるが、その最愛の妻、ジューンが2003年5月に73歳で他界すると、同年7月のライヴ・パフォーマンスを最後に、自身も妻の後を追うように9月に他界した。享年71。
ミリオンダラーカルテット
1956年には、ビルボード誌の年間トップ40の上位10曲のうち、一位、二位、五位、九位にエルビスの唄がランキングされた。サンスタジオのサム・フィリップスは、エルビスに続き、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ロイ・オービソン、そしてジョニー・キャッシュを売り出した。この年、故郷に帰ったエルヴィスが立ち寄ったサン・スタジオで、偶然にもカール・パーキンスが、新人のジェリー・リー・ルイスにピアノを弾かせて新曲をレコーディングしているところに遭遇。そこへまた、ジョニー・キャッシュが入って来て、自然発生的に始まったセッションのレコードが「ミリオンダラーカルテット」として発売されている。
ロック・アラウンド・ザ・クロック
南部の小さな町で誕生したロックミュージックは1955年には、レコード産業のビッグトレンドとなった。映画「暴力教室」に使われたビル・ヘイリー&ヒズコメッツの歌うRock Around The Clockが年間ベストワンになったほか、プラターズのOnly You、チャック・ベリーのMaybelieneなどがランキングされた。この年にはやった曲の多くはロックの影響が見られた。後にワイルドなエルビスの対抗馬とされたバラード歌手、パット・プーンは黒人のリズム&ブルース歌手、ファッツ・ドミノのAin't That A Shameをヒットさせた。ロックの誕生は、南部の小さな町でくすぶっていた多くの才能ある若者たちを開花させると共に、黒人ミュージシャンたちを表舞台へと引き出した。
メンフィス、テネシー
テネシー州メンフィス。この町は、エルビス・プレスリーがレコードデビューしたサンスタジオがあることで有名だ。1953年、エルビスはこの町の小さなレコーディングスタジオで、母親にプレゼントするために“Blue Moon Of Kentucky”をレコードに吹き込んだ。
それから一年後、19歳のエルビスは再びサンスタジオを訪れ、ギタリストのスコッテイ・ムーアとベーシストのビル・ブラックと共に“That's All Right, Mama”をレコーディングした。黒人の音楽、ブルースと白人の音楽、カントリーミュージックを掛け合わせた官能的なポップスは“Rockabilly ”と呼ばれ、たちまち全米を熱狂の渦に巻き込んでいく。
それから一年後、19歳のエルビスは再びサンスタジオを訪れ、ギタリストのスコッテイ・ムーアとベーシストのビル・ブラックと共に“That's All Right, Mama”をレコーディングした。黒人の音楽、ブルースと白人の音楽、カントリーミュージックを掛け合わせた官能的なポップスは“Rockabilly ”と呼ばれ、たちまち全米を熱狂の渦に巻き込んでいく。
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