2010年7月7日水曜日

ロカビリー時代のリズム&ブルース

 エルビス、パット・プーン、リッキー・ネルソンのデビュー曲は、いずれも黒人のリズム&ブルースシンガーの作品が原曲だった。エルビスはアーサー・クルダップの「ザッツオールライト・ママ」、パット・プーンはファッツ・ドミノの「エイント・ザット・ァ・シェイム」、リッキー・ネルソンは同じくドミノの「アイム・ウォーキン」でデビュー。
黒人に対しては人種差別という問題があった米国で、黒人歌手たちが若者の間で人気者になっていった事実は、数年後に始まる黒人解放運動にもなんらかの影響を与えたに違いない。エルビスも、ディランも、レノンも、クラプトンも、黒人は優越意識を味わうための差別の相手ではなかった。彼らは間違いなく黒人のブルースシンガーたちをリスペクトした。
50 年代後期から60年代初頭にかけて、とくに人気のあった黒人ロッカーは、チャック・ベリー(ジョニーBグッドを演奏したことのないロックバンドが果たしてあるのだろうか、ライブでもこれをやるとバッと盛り上がる)、ファッツ・ドミノ(ニューオーリンズで健在、最近、すばらしい新譜をリリース)、ロイド・プライス(スタッガ・リーでナンバーワン)。そしてビッグヒットを連発したドリフターズとコースターズ、プラターズ。
ほかにもうっとりするようなドゥワップコーラスグループがたくさん活躍した。

ドリフだよ、ドリフターズ

 たくさんの黒人グループの中でも、もっとも幅広い活躍が目立ったのが、ドリフターズだ。いかりや長介ひきいるコミックバンドとはとくに関連はないと思うけど…。結成されたのは1953年。「マネー・ハニー」「サッチャナイト」など、いまでもロックのスタンダードとして知られる曲から、日本でも知られる「ラストダンスは私と」まで、実に多くのヒット曲がある。
「ラストダンス…」は、日本では越路吹雪が歌ったため、シャンソンだと思っている人がいるけど、れっきとしたリズム&ブルースなのだ。
アメリカのコーラスグループによくあるように、ドリフターズという看板(ブランド)はプロモーターが所有していて、ドリフターズの名前のもとにメンバーが集められる。結成から20年の間に40名以上のメンバーが在籍した。だから同じグループだと思っていたら中身はまったく別物ということがあるわけ。ちなみにプラターズも、たえず中身が変わっている。
全盛期のリードボーカルをとっていたのが、「スタンド・バイミー」のベン・E・キングだ。

ブルック・ベントン、けっこう好きでした

 日本ではほとんど知られることはなかったけど、当時の黒人歌手の中で、ヒット曲を連発していたのが、ブルック・ベントンだ。低音をきかせたバラード、「イット・ジャスト・マター・オブ・タイム」が最初のビッグヒットで、この曲はずつと後にカントリー歌手のランディ・トラビスがリバイバルさせている。
ビルボードのトップ3にランクされた「ボールウィーブルソング」は、綿花につく虫のことを歌ったフォークソングをベースにしたノベルティソング。またダイナ・ワシントンとのデュエットでのヒット曲も多い。

プラターズ、といえばオンリー・ユー

 日本で一番人気のあった黒人コーラスグループといえば、プラターズ。あの「オンリー・ユー」は、アメリカンポップスに興味のない人でも知っているのではないかな。ほかにも「マイプレイヤー」や「グレートプリテンダー」「トワイライトタイム」「煙が目にしみる」など、オールディ特集のCDにはたいてい収録されているし、何回もの来日公演がある。このグループの特色は、よく知られているスタンダード曲をドゥーワップ的なコーラスでスタイリッシュに歌い上げることで、あまり癖がないので、日本のダークダックスとかデュークエイセスみたいなグループでも真似ができるところかな。

ふとっちょドミノ、フアッツ・ドミノを知ってるかい

 フアッツ・ドミノが1950年に録音した「ザ・ファット・マン」は最初のロックンロールともいわれる。フアッツは、日本では「ブルーベリー・ヒル」や「聖者の行進」などが知られる。

2005年8月、ニューオーリンズをおそった大型ハリケーン、カトリーヌ。その大洪水の中で行方不明が報じられたファッツ・ドミノ(78)。無事発見されて「アイム・アライブ・アンド・キッキン」(俺は生きて、ぴんぴんしているぜ)とメッセージしたことが、全世界のニュースで報道された。

2006年4月には、ルイジアナ州が運営するデルタミュージック博物館へ殿堂入り。さらに2007年春に「アライブ&キッキン」という新譜をリリースした。これがご機嫌で、若い頃と少しも変わっていないというか、たしかに円熟してうまみを増しているんだ。

  独特のブギウギピアノに乗って、時折こぶしをまわしながら陽気に歌うスタイルも健在だ。ところでニューオーリンズは、デキシーランドジャズの発祥地であるだけでなく、ケイジャン、ツーステップ、セカンドラインなど、いろいろな要素がミックスした音楽のチャンプルーが息づく街だ。ハリケーンの被害からの復興支援コンサートに、日本から中島美嘉が参加して話題になったけど、ニューオーリンズの音楽を守れという願いは、世界中にひろがっているようだ。

ソングライター キャロル・キング

 ソングライターにスポットライトが当たったのは、いわゆるシンガー&ソングライターの時代1970年代といってもいいかもしれないけど、1957年~1963年には人気ソングライターチームが活躍した。

エルビスの「監獄ロック」やコースターズ、ドリフターズのヒット曲を手がけたジェリー・ライバー 
とマイク・ストーラー。シンガー&ソングライターの走りみたいなニール・セダカとハワード・グリーンフィールド、エバリー・ブラザーズの曲を書いたフェリス&ブードロウ・ブライアント、そしてキャロル・キングとジェリー・ゴフィン。

2005年に発売されたキャロル・キングの「リビングルームツアー」では、1961年のシュレルズのビッグヒット「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥマロウ」に始まるヒット曲メロディが観客の大合唱と共に聴かれる。これは有名な話だけどニール・セダカの「オー・キャロル」は、キャロル・キングに捧げた唄だとのこと。キャロルもお返しで「オー・ニール」という歌を歌っているんだよ。その後、キャロル・キングは1970年代にシンガー&ソングライターとして大活躍することになる。

エディ・コクランとジーン・ビンセント

 エディ・コクランとジーン・ビンセントは、それぞれ「バルコニーに座って」と「ビーパップアルーラ」が日本でもヒットした。ふたりともイギリスで人気が高く、のちにブライアン・セッツァのストレイキャッツは「エディ&ジーン」という曲を歌っている。1960年、イギリス公演を終えたエディとジーンはロンドン空港へと向かう途中、交通事故を起こし、エディは死に、ジーンは大けがをおった。このときエディは21歳、映画出演のオファーも増え、これからという時だったらしい。1958年のヒット、「サマータイムブルース」は後年、ザ・フーが演奏してロックのスタンダードのような存在になった。

すきっ古じゃない、スキッフルだってば

 ビートルズのジョン・レノンが影響を受けたといったことで少し有名になったのが、スキッフルという音楽。イギリスで1950年代に流行した演奏スタイルで、ディキシーランドジャズとフォークソングを混ぜ合わせたような感じで、ロニー・ドネガンがスターになった。彼はクリス・バーバーのバンドに在籍していたようだ。クリス・バーバーのバンドは「小さな花」というヒット曲がある。日本ではザ・ピーナッツが歌ったあの歌だ。ロニーのヒット曲として知られているのは「ロックアイランドライン」というフォークソング。

カントリーミュージック

 ロカビリーの母が黒人のリズム&ブルースだとしたら、父はカントリーミュージックだ。50年代は日本ではウェスタンと呼ばれていて、小坂一也はちょっとした人気者だった。当時のウェスタンはハンク・ウイリアムズとカウボーイソングと西部劇の主題歌のことだったと言ってもいいほど。

カントリーミュージックは英仏からの移民と共にアメリカ大陸に伝わったわけで、ルーツは民謡である。演奏者の個性、スタイル、地域性、メインの楽器などの違いで多様性が生まれた。ケンタッキーではビル・モンローのブルーグラス、テキサスではボブ・ウイルスのウェスタンスウィング、ルイジアナではケイジャン、メキシコ国境近くではテックスメックス、テネシーではナッシュビルのカントリーミュージック、ハリウッドではロイ・ロジャースなど歌うカウボーイといった具合。なかでもジミー・ロジャースとハンク・ウイリアムスは今でも大きな影響を与え続けている。

ビルボード誌などはポップチャートとカントリーチャートを分けて統計をとっているが、両方のチャートに名前をたびたび出している人には、ジム・リーブスとジョニー・キャッシュ、マーティ・ロビンス、ジョニー・ホートンら、近年ではウィリー・ネルソンやエミールー・ハリスらがいる。もっと最近では、ノラ・ジョーンズもその一人だろう。テキサス大学在学中には、ウィリー・ネルソンやドリー・パートンをたっぷり聞き込んでいたという。(ウィリーとノラのデュエット、ローンスターは最高!!)

チャートの歴史から観ると、50年代はロカビリーブーム、60年代はナッシュビルサウンドとカントリーロック、そして70年代以降も映画「アーバンカウボーイ」をきっかけとするプチブーム、21世紀に入ってからはヒップホップとラップに占拠された感のあるチャートにカントリー歌手のアルバムがしっかりとどまっている。それとカントリーの人気歌手は女優に見初められやすいようで、ジュリア・ロバーツはライル・ラベッツと、レニー・ゼルウィガーはケニー・チェズニー(どちらも離婚済みですが)、最近はニコール・キッドマンとキース・アーバンが結婚している。さらに映画でも「コールドマウンテン」「ブローバック・マウンテン」「ウォーク・ザ・ライン」とカントリーミュージックをフューチャーした作品が成功している。

ビートゼネレーションとロック

 ロックが流行しはじめた当時、日本では「太陽族」、アメリカでは「ビート族」があって、日本では同じような括り方をされていましたが、中身はだいぶ違う。ビートというと、顎ひげとサングラス、黒い服といったイメージで、不良の一種みたいに言われていたようだが、実際の彼らは“詩とモダンジャズ”を愛する人たちだ。基本コンセプトは「反・画一化」で、いわゆる当時のアッパーミドル志向と画一化するライフスタイルに異議を唱える人たちであった。
彼らの音楽は、チャーリー・パーカーやジョン・コルトレーンであってロックとのつながりはあまりない。彼らとロックとの関わってくるのは、後年の「フォークムーブメント」や「ヒッピー族」の時代。ビート族のひとり、ジャック・ケルアックの小説「路上」の主人公、ディーン・モリアティのモデルとなったニール・キャサディがグレートフルデッドのコミューンにやってくる話は、「カッコー鳥の巣」を書いたケン・キージーの「クールLSDテスト」で披露されている。「フォークムーブメント」との関わりについては、ビート族がたむろしたニューヨークのグリニッヂビレッジという街が媒介となっている。この街は前衛芸術家のコミュニティになっていたけど、ミネソタの田舎町からニューヨークへやってきたボブ・ディランがビレッジの住人になったことから始まる。だけど、その話は、もう少し先に行ってから書く予定だ。ただ、ビートのリーダー格だった詩人のアレン・ギンスバーグはボブ青年の唄を聴き、ビートが目指していたものと同じものを感じとって、ボブのことを大変気に入ったのだった。

日本のロカビリーブーム

 ロカビリーブームは、日本にもやってきた。日劇ウエスタン・カーニバルで登場した三羽がらす山下敬二郎、平尾昌章、ミッキー・カーチスらが人気を集め、女の子は失神するものもいたようだ。JPOPの源流はこの時代かもしれない。当時は洋楽全般をジャズという人もいたぐらいで、ロカビリーブームは日本の音楽ファンにとってもエポックメイキングな出来事だったに違いない。クレージーキャッツやドリフターズもこの時代に音楽活動をはじめているし、日本のテレビの黎明期にも当たり、野坂昭如、青島幸男、永六輔、中村八大らが今までにない
何かを生み出したように思う。ただ個人的には、この時代のJPOPはアメリカのロックミュージックとは別物という気がする。ロック調にアレンジされた歌謡曲である。日本にロックが生まれたのは、もう少し後年のことのような気がする。

映画とロック

 映画とロック。ひとつはロックスターの出演する映画、たとえばエルビスの一連の映画とか。もうひとつはロックそれ自体を紹介する映画、たとえばウッドストックやラストワルツ。あるいは「ウォーク・ザ・ライン」のような伝記映画。そして、もうひとつロックカルチャーなりロックスピリッツのある映画、たとえばマーロン・ブランドの「暴力教室」やジェームス・ディーンの「理由なき反抗」、近年では「アメリカン・グラフィティ」や「スタンド・バイ・ミー」など。「暴力教室」に使われたビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は、まさにロックエージの幕開けを人々に告げるかのような響きをもっている。この曲は「アメリカン・グラフィティ」にも使われていた。
「アメリカン・グラフィティ」や「スタンドバイミー」に使われた音楽は、ちょうど1957年から1963年にかけてのアメリカでのヒット曲だった。そしてその時に青春時代を過ごした人たちにとってはノスタルジックな映画だった。

アイドルシンガー

 エルビスの成功をみて多数のロカビリースターが登場する。1957年のビルボード年間チャートトップ40には、エルビス、パット・プーン、サム・クック、ポール・アンカ、バディ・ホリー、エバリーブラザース、ダイヤモンズ、ファッツ・ドミノ、チャック・ベリー、コースターズ、ジェリー・リー・ルイス、リッキー・ネルソンらが登場する。
翌年にデビューしたボビー・ダーリン、コニー・フランシス、1957年のフランキー・アバロン、フェビアン、1960年のディオン、ブレンダ・リー、ジョニー・ティロットソン、ボビー・ライデル、ボビー・ヴィーと、ティーンエイジアイドルともいうべきロックスターが続々とデビューした。

日本で売れたのは、エルビス、パット・プーン、ポール・アンカ、コニー・フランシス、ニール・セダカといったところ。とくにポール・アンカは来日公演もして日本に多くのファンをつくる。
また、コニー・フランシスは「ボーイハント」、ジョニー・ティロットソンは「キューティパイ」といった日本向けの曲がヒットして人気者になった。

ティーンエイジ・アイドル リッキー・ネルソン

 アメリカではエルビスに続く位置にいたリッキー・ネルソンは、NHKで「陽気なネルソン一家」が放映されていたわりに日本で人気が出るまでかなりの時間がかかっている。デビュー作品はリッキーが16歳だった1957年の「十代のロマンス」「アイム・ウォーキング」だが、日本でのヒットは1961年の「トラベリングマン」と「ハロー・メリールウ」まで待たなければならなかった。また映画「リオブラボー」ではジョン・ウェインやディーン・マーチンと共演。かっこいいガンマンを演じた。

「ティーンエイジアイドル」「ガーデンパーティ」はティーンエイジアイドルだった自分の苦しみや悩みを歌った曲だ。60年代後半はストーンキャニオンバンドを率いてカントリー&フォークナンバーを歌った。なおリッキーのバックバンドには、後にエルビスのバックバンドに入ったジェームス・バートンや「恋のフェニックス」を始めとするビッグビットを多数リリースしたグレン・キャンベル、イーグルスのメンバーになったランディ・マイズナーらが参加している。
「プア・リトル・フール」をはじめとする大ヒットを連発した 1958~1960年頃のリッキーは本当にカッコよかった。そして「陽気なネルソン一家」では毎回番組の最後にリッキーのヒット曲を流してくれて、それがとても楽しみだった。彼は48歳のときに飛行機事故でなくなった。

ちなみに一番好きな曲は、「 Poor Little Fool 」です。

バディ・ホリー

日本ではとんど無名だったけど、バディ・ホリーは、のちにドン・マクリーンが「アメリカンパイ」というヒット曲で、「バディ・ホリーが死んだ日、音楽が死んだ日」と歌ったほど、大きな影響を与えた。ローリングストーンズの「ノットフェイダウェイ」をはじめ、いろんな人が彼の作品をレコーディングしている。1959年3月、ライブ活動で移動中に飛行機事故に巻き込まれて死亡した。同乗していたロック歌手にリッチー・バランス、ビッグポッパーがいる。三人の死を追悼する「スリースターズ」という曲がある。
バディのもっとも有名なヒット曲は「ペギースゥ」だろう。その続編の「ペギースウの結婚」をタイトルにした映画もできた。ところでバディ・ホリーはメガネをかけたスーパースターだ。そしてメガネと言えば、「ウォーク・ザ・ライン」にも出ていたロイ・オービソンのことも忘れてはいけない。

2代目 ウォークザラインに出演

「ウォーク・ザ・ライン」で、ジェリー・リー・ルイスを演じたウェイロン・ペイン。お父さんはウィリー・ネルソンのバンドメンバー、ジョディ・ペインで、お母さんはクリス・クリストファソンの「ヘルプミー・メイクイット・スルーザナイト」を唄って人気歌手になったサミ・スミスだ。そして、ウェイロンという名前は、ウェイロン・ジェニングスからもらった。
ウェイロンはすでに亡くなったが、ジョニー・キャッシュ、クリス・クリストファソン、ウィリー・ネルソンと「ハイウェイマン」というグループを結成していた。そのウェイロンの子供、シューター・ジェニングスも「ウォーク・ザ・ライン」に出演している。ウェイロンは、50年代の人気ロック歌手、バディ・ホリー&クリケッツのベーシストだった。